Aloha Knowledge_Vol.1

Vol.1_Oʻlelo Hawaii– よみがえる母国語

5/5/2019

Written  by  Leila Leihuluonalani Fernandez

執筆 レイラ レイフルオナラニ フェルナンデス

日本語訳 松村 めぐみ

5/30/2019

O’lelo Hawaii – よみがえる母国語

 

1987年4月 ジョン ヘッカソン氏(John Heckathorn *1)がホノルルマガジンに下記の記事を発表しました。

“ハワイ語は今絶滅の危機に瀕している。ハワイ語を話せる人口は島々合わせ約二千人程度しかおらず、その多くが高齢者である。言語が生き残るためには継続的に子供たちの世代に教えていかなければいけない。しかしながら現在5歳以下でハワイ語を使用している子供たちはニイハウ島に住む一部のコミュニティーの子供達30人余りに過ぎない。”

言語が消えてしまうという事は、ハワイ人としての思考も同時に消滅していくという事です。言語無くしてはハワイ民族の血を持ちながらも、文化やアイデンティティーは私たちの中から薄れていきやがては本当のハワイ人ではなくなってしまいます。

 

今日、イマ―ジョンスクール(英語・ハワイ語両方を使用するバイリンガル小、中、高校)を中心とした文化復興運動の盛り上がりの中、子供たちはハワイ語を話せる新たな世代として育ってきています。Punana Leo (声の巣箱)学園は幼稚部からクラスでハワイ語を使用する最初の学校として開設され、現在ではハワイ全土に数多くのバイリンガルスクールが存在する状況となりました。

バイリンガルスクールに行く子供を持つMakua(両親)は子供と共にハワイ語を学ぶことを要求されます。学校側は通常両親や祖父母のための語学クラスを無料で開催し、日常的に家庭内でもハワイ語を使用することが期待されています。


私の娘、‘Iwalani Hanako Kau’ionalanimaikakuppunaakealohakeakua Matthews イワラニ(5歳)は昨年までPunana Leo Ko’olau Poko 校に通い、現在は兄のJoshua Kealaka’iokalani Daniel Matthews アラカイ(9歳)と共にオアフ島東部カネオヘにあるKe Kula ‘O Samuel Kamakauという学校に通っています。
子供たちが校庭で毎朝、緑生い茂る島の山々に向かってオリを唱える様子はまさに“鳥肌”ものです。校内で友達同士がハワイ語で話し遊ぶ様子はこの上なく美しく、それを見るたびに私は自分たちの母国語―ハワイ語が奪われてから100年余、今この子供達の世代になってやっと還ってきたことを思い、涙が溢れてくるのです。絶滅寸前にあったハワイ語をここまでつなげ、復活させるには多くの人々のたゆみない努力がありました。そのすべての方々に深く感謝の気持ちが湧くのです。

ハワイの学校は他のアメリカの公立高校とはやや異なったシステムで運営されています。ハワイの伝統と習慣を深く取り入れた学習内容で構成されており、子供たちは月に一度、Malama ‘aina(島の世話をする)ためのHuaka’i(遠足)に出ます。タロイモ畑で働いたり、森の生態系を体験したり、または海での航海術等を学びます。これらの活動を通して自分たちがハワイ民族が何者でどこから来たのかを感じ取っていくのです。このHuaka’iは希望する家族はだれでも一緒に行くことが出来ます。一つの大きなオハナとして共にハワイの全てを学び成長していくことを目的としているのです。

このハワイ文化復興の流れの中、我々クムフラそしてHaumana(フラを学ぶすべての生徒)は、ハワイ文化そしてハワイ語をこれから永続させていくための大きなKuleana (責任)の一端を担っていると感じます。

私が最初にハワイ語を勉強し始めたころ、辞書を片手に単語をノートに書き込みその意味をそれぞれ隣に書き添えていくという作業をしていましたが。。。これはお勧めできません! 一つの英単語に対して複数のハワイ語が存在すると同時に、たった一つのハワイ単語が英語では一言では言い表せない多くの意味を持つことが多々あるからです。このハワイ語の多重性が学ぶ側にとっては一番頭を悩ませることとなるように思います。例えば「雨」には一番よく使われている“ka ua” 以外に200通りもの違う言い方があると言われています。文法も意味合いによっては複雑になります。先ずは信頼できる教材を見つけることはとっても大切な要素の一部だと感じます。

フラを学ぶ上で一番大切なものはチャント、歌(メレ)、詩です。これらの“言葉“通して、言語をを学び、歴史、伝説、ハワイの血筋そしてフラとは何かを学び伝えていきます。そのためカヒコは世代から世代へ、歴史を伝えるツールとして変わることなく代々受け継がれてきました。かつてハワイの一般の人々は殆ど読み書きの出来ない状況でしたので、多くがこのような口承で伝えられました。そのため、正確に聞きとり、正確に暗唱することが非常に重要となります。悲しいことに近年の歴史によりハワイでは多くのものが失われてしまいました。ですから私たちはせめて現在残っているものを正確に次の世代に伝えていくことが重要な使命であると思えます。

 

最近はハワイ語のコンテストというものが各地で開かれるようになってきました。スピーチ、暗唱、歌、チャントそして書き取りの種目があります。またフラダンス競技会ではミュージックバンドとダンサーのハワイ語のみを審査する特別審査員が参加することも多くなりました。

私が初めて流暢にハワイ語を話す人に巡り合ったのは1988年ワイキキのVoyage Showroom(*ライブ音楽フラショーの殿堂)でした。現在クムフラをしている私のフラブラザーKeoniとハワイ語学校の教諭をしているフラシスターのLilinoeがハワイ語でwala'au(会話)しPule(お祈り)をしていたのです。感銘を受けた私は即ハワイ語を習いたいと思いましたが当時ハワイ語の先生を探すのは容易ではありませんでした。今日状況は様変わりしました。教材、語学学校、語学教師の数は飛躍的に増え学習する環境は身近に揃っています。皆さん、一緒にHolo Imua(前に進みましょう)そしては‘Olelo Hawaii(ハワイ語)を共に学ぶ仲間になりましょう。

 

HAKALAMA SONG  (*HAKALAMAはハワイ語のあいうえお)

HA KA LA MA NA PA WA A

HE KE LE ME NE PE WE E

HI KI LI MI NI PI WI I

HO KO LO MO NO PO WO O

HU KU LU MU NU PU WU U

A E I O U

 

私自身まだまだハワイ語の学びの旅の途中です。すべての学びがそうであるように、学習とは生涯続くものです。フラのクムとして、またHaumana (生徒)として何にも代えがたいこの道のりを皆様と共に歩んでいけますことを大変うれしく思っています。

拝読頂きありがとうございました。

マハロ

 

レイラ レイフルオナラニ フェルナンデス

フラハラウ オ レイフルオナラニ

 

追記

*1 元ホノルルマガジン編集長 1976年よりハワイ大学英語教授として教鞭をとる。その後ハワイマガジンの編集監修も務め1993-2005まで編集長。2011年没